三島江の入江の真菰雨降れば
いとどしをれて刈る人もなし
- 歌の意味
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三島江の入江の真菰は、雨が降るのでいっそう萎れて、刈る人もいない。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 228
詞書は前の歌に続き「題しらず」
ここから真菰を詠む歌が続く。真菰は水辺に生える草で、刈って莚などに用いられた。原文では詞書が改めて記されていない。
作者の「大納言経信」は源経信である。本巻では第百九十七首
第二百二十二首
第二百二十五首に続く四度目の登場となる。
場面は五月雨のころ、場所は摂津国の歌枕である三島江(現在の大阪府高槻市の淀川沿い)である。巻第一の第二十五首で源通光が葦の芽ぐみを詠んだのと同じ土地である。
詠まれた直接の契機は伝わらない。
初句
二句「三島江の入江の真菰」で場所と対象が定まる。
三句「雨降れば」は確定条件で、雨が降るので、の意である。
四句「いとどしをれて」の「いとど」は、いっそう、ますますの意である。「しをる」は元気を失う意で、巻第一の第六十三首の定家歌でも雁について用いられた語である。
結句「刈る人もなし」は打消で言い切る。「も」は、刈る人さえも、の含みである。雨のために人が出て来ないので、草はいっそう萎れたままになる。人の手が入らないことが、草の状態を悪化させるという構図であり、第二百二十五首
第二百二十六首が人の張った縄の朽ちるさまを詠んだのと同じく、長雨によって人の営みが止まることが主題となっている。
まこも:水辺に生える草。刈って莚などに用いる
いとど:いっそう。ますます
しをる:元気を失う。しおれる
- 作者
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源経信
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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