五月雨は麻生の川原の真菰草
刈らでや波の下に朽ちなん
- 歌の意味
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五月雨のために、麻生の川原の真菰草は、刈られないまま波の下で朽ちてしまうのだろうか。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 231
詞書「百首歌よませ侍りけるに」
真菰の三首目である。第二百二十八首が刈る人のないことを詠んだのを受け、この歌はそのまま朽ちるのではないかと推し量る。詞書によれば百首歌を詠ませた折の一首である。
作者の「入道前関白太政大臣」は藤原兼実(一一四九〜一二〇七)である。摂政関白
太政大臣を務め、日記『玉葉』を残した。巻第一の第五首、本巻の第二百一首の詞書にも現れる人物であり、第二百九首などの作者である良経は子にあたる。
場面は五月雨のころ、場所は麻生の川原である。
直接の契機は百首歌の詠出である。
初句「五月雨は」は、五月雨のために、の意である。原因が最初に置かれる。
二句「麻生の川原の」で場所が定まる。「麻生」は麻の生えているところをいい、巻第一の第百八十五首の待賢門院安芸歌でも用いられた語である。
三句「真菰草」で対象が示される。第二百二十八首
第二百二十九首と同じ草であり、三首が並べて置かれている。
四句「刈らでや」の「で」は打消の接続助詞、「や」は疑問の係助詞で、刈られないまま〜だろうか、の意になる。第二百二十八首の「刈る人もなし」を受けた言い方である。
結句「波の下に朽ちなん」の「な」は完了の未然形、「ん」は推量の助動詞である。増水した水に沈んで朽ちるという見込みが示される。第二百二十六首が標縄の朽ちるのを推し量ったのと同じ形であり、長雨によって人の手の届かなくなったものが朽ちていくという主題が、縄から草へと移されている。
をふ:麻の生えているところ
まこも:水辺に生える草。刈って莚などに用いる
で:打消を表す接続助詞。〜ないで
- 作者
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藤原兼実
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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