五月雨の月はつれなきみ山より
独りも出づる時鳥かな
- 歌の意味
-
五月雨のころ、月は素知らぬさまで出てこない。その深山から、ただ一羽で出てくる時鳥であることだ。
- 鑑賞
-
巻第三 夏歌 235
詞書「五十首歌たてまつりし時」
ここから五月雨と時鳥を取り合わせる歌が三首続く。この歌はその一首目で、月の出ない深山から鳥だけが出てくると詠む。詞書によれば五十首歌を詠進した折の一首である。
作者の藤原定家は本巻では第二百三十二首に続く二度目の登場となる。
場面は五月雨のころの夜、場所は深山である。
直接の契機は五十首歌の詠進である。
初句
二句「五月雨の月はつれなき」の「つれなし」は素知らぬさま、平然としているさまをいう。第二百九首の良経歌でも有明の月について用いられた語である。長雨に隠れて出て来ない月が、無情なものとして扱われる。
三句「み山より」は深山から、の意である。「み」は接頭語である。月と鳥がともにそこから出るはずのものとして並べられる。
四句「独りも出づる」の「独り」は、ただ一つで、の意である。月は出ないのに鳥だけが出てくるという対比が示される。「も」は、それでも、の含みである。
結句「時鳥かな」は体言止めで、「かな」の詠嘆で結ばれる。第二百十二首の親宗歌が、待たない月は出て待つ鳥は来ないと詠んだのに対し、この歌はその関係を逆にしている。同じ二つを対にしながら、来る側と来ない側が入れ替わっている。
つれなし:素知らぬさまである。平然としている
みやま:奥深い山。「み」は接頭語
ひとり:ただ一つで
- 作者
-
藤原定家
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-