時鳥雲居のよそに過ぎぬなり
晴れぬ思ひの五月雨の頃
- 歌の意味
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時鳥は遠い空の彼方を過ぎていったようだ。晴れることのない思いを抱えた、五月雨のころに。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 236
詞書「大神宮にたてまつりし夏の歌の中に」
五月雨と時鳥の二首目である。鳥が遠くを過ぎ、心も晴れないと詠む。詞書によれば伊勢の大神宮に奉納した夏の歌のうちの一首である。
作者の「太上天皇」は後鳥羽院である。本巻では第百七十五首に続く二度目の登場となる。
場面は五月雨のころ、場所は特定されない。
直接の契機は伊勢神宮への奉納歌としての詠出である。
初句「時鳥」で対象を掲げる。
二句「雲居のよそに」の「雲居」は雲のある空、転じて遠く隔たったところをいう。第二百五首の周防内侍歌でも用いられた語で、そちらは遠くに一声を聞いたが、この歌は声も聞かずに過ぎられている。
三句「過ぎぬなり」の「なり」は伝聞推定の助動詞で、そうらしいと判断する形である。第二百十三首の保季歌の「過ぎにけり」と同じく、去った後に気づく型である。
四句「晴れぬ思ひの」は、晴れることのない思い、の意である。「晴る」は雲が晴れる意と、心が晴れる意の両方に働き、下の五月雨の縁語となる。
結句「五月雨の頃」は体言止めである。空が晴れないことと心が晴れないことが、一つの語で結ばれており、天候が心情の器として用いられている。
くもゐ:雲のある空。転じて遠く隔たったところ
はる:雲が晴れる意と、心が晴れる意をもつ
- 作者
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後鳥羽院
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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