- 歌の意味
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いったい誰がまた、花橘の香によって私を思い出すだろうか。私もまた昔の人となってしまったならば。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 238
詞書「題しらず」
ここから花橘を主題とする一連が始まる。この歌は自らの死後を思い、誰が自分を思い出すのかと問う。詞書は「題しらず」で、詠作の事情は伝わっていない。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。本巻では第二百一首ほかに続く五度目の登場となる。
場面は花橘の咲くころ、場所は特定されない。
詠まれた直接の契機は伝わらない。
本歌は『古今和歌集』夏の「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」である。橘の香が昔の人を思い出させるという観念は、この歌によって定まった。
この歌は俊成の代表作の一つとして広く知られる。
初句「誰かまた」の「か」は疑問の係助詞で、二句の「ん」に係る。「また」は、これまでと同じように、の含みである。
二句「花橘に」は、花橘の香によって、の意である。本歌の趣向をそのまま受けている。
三句「思ひ出でん」は、思い出すだろう、の意である。本歌では詠み手が昔の人を思い出す側であったが、この歌では思い出される側に立場が移されている。
四句「我も昔の」の「も」は、私もまた、の含みである。本歌の「昔の人」に自分を重ねている。
結句「人となりなば」の「なば」は完了の未然形に仮定の「ば」が付いた形で、〜てしまったならば、の意である。死後を仮定して、そのとき自分を思い出す者がいるかを問う。答えは示されず、問いだけが残される。巻第二の第百四十三首
第二百七首でも、思い出せという呼びかけが用いられていたが、この歌はそれを疑問の形に転じている。
はなたちばな:橘の花。その香が昔を思い出させるものとされた
むかしのひと:昔なじみの人。また亡くなった人
なば:〜てしまったならば
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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