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鵜飼舟高瀬さし越す程なれや
結ぼほれゆく篝火の影

歌の意味
鵜飼舟が浅瀬に棹をさして越えていくころだからだろうか、篝火の光がもつれるように揺れていく。
鑑賞
巻第三 夏歌 252

詞書は前の歌に続き「鵜河」
 鵜飼の二首目である。篝火の光の揺れから、舟が浅瀬を越えていることを推し量る。原文では詞書が改めて記されていない。
 作者の寂蓮法師は藤原俊成の甥で養子となり、のちに出家した。『新古今和歌集』の撰者に任じられたが、完成を見ずに没した。本巻では第二百十七首
第二百十八首の作者である西行と同じく、僧の歌人である。巻第一では第五十八首
第八十七首、巻第二では第百五十四首ほかに現れた。
 場面は夏の夜、場所は鵜飼の行われる川である。
 直接の契機は百首歌合への出詠である。

 初句「鵜飼舟」は前歌と同じ初句である。二首が同じ語で始まり、並べて置かれている。
 二句「高瀬さし越す」の「高瀬」は浅瀬をいい、「さす」は棹をさすことである。巻第一の第七十二首の公経歌でも「高瀬さす」と用いられていた。
 三句「程なれや」の「や」は疑問の係助詞で、〜だからだろうか、と原因を推し量る形である。
 四句「結ぼほれゆく」は、もつれてほどけない、また晴れやかでないさまをいう。火の光が揺れて筋が乱れるさまを表す。
 結句「篝火の影」は体言止めである。「影」は光をいう。舟の動きそのものは見えず、火の光の乱れによってそれを知るという構成であり、本巻の時鳥の一連が声だけを手がかりとしたのと同じ方法が、光に移して用いられている。

たかせ:浅瀬。またそこを行く舟
むすぼほる:もつれてほどけない。晴れやかでない
かがりび:鵜飼などで焚く火
作者
寂蓮法師
出典
新古今和歌集
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