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結ぶ手に影乱れゆく山の井の
飽かでも月の傾きにける

歌の意味
手に掬うたびに月の影が乱れていく山の井の、その水に飽き足りないまま、月は傾いてしまったのだった。
鑑賞
巻第三 夏歌 258

詞書「五十首歌たてまつりし時」
 ここから清水と涼しさを詠む歌が続く。この歌は山の井の水に映る月を詠む。詞書によれば五十首歌を詠進した折の一首である。
 作者の「前大僧正慈円」は慈円である。本巻では第百七十七首
第二百四十二首
第二百五十一首に続く四度目の登場となる。
 場面は夏の夜、場所は山中の泉である。「山の井」は山中の浅い泉をいう。
 直接の契機は五十首歌の詠進である。
 本歌は紀貫之の「むすぶ手のしづくに濁る山の井の飽かでも人に別れぬるかな」(『古今和歌集』離別)である。

 初句「結ぶ手に」の「結ぶ」は手で水を掬うことをいう。本歌の初句をそのまま用いた部分である。
 二句「影乱れゆく」は、水面に映る月の光が乱れていく、の意である。本歌が「しづくに濁る」と水の濁りを言うのに対し、この歌は月の影の乱れに置き換えている。濁りという触れられる事柄から、光という見るだけの事柄へ移されている。
 三句「山の井の」も本歌と同じ語である。
 四句「飽かでも」は、満ち足りないまま、の意で、これも本歌の語である。本歌では人と別れることに掛かっていたが、この歌では月が傾くことに掛かる。別離の歌が、夏の夜の歌に転じられている。
 結句「月の傾きにける」の「けり」は詠嘆で、いつのまにか月が沈みかけていたという気づきを表す。水を掬っているうちに夜が過ぎたことになり、短い夏の夜という主題がここでも働いている。

むすぶ:手で水を掬う
やまのゐ:山中の浅い泉
あかず:満ち足りない
作者
慈円
出典
新古今和歌集
その他の歌