清見潟月はつれなき天の戸を
待たでも白む波の上かな
- 歌の意味
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清見潟では、月は素知らぬさまで沈まず、天の戸の開くのを待たないうちに白んでいく波の上であることだ。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 259
詞書「最勝四天王院の障子に清見が関書きたるところ」
清水と涼しさの二首目で、海辺の夜明けを詠む。詞書の最勝四天王院は後鳥羽院が建立した御堂で、その障子に描かれた名所絵に添えて歌が詠まれた。この歌は清見が関を描いた部分に添えられたものである。第百八十四首、巻第二の第百三十三首も同じ障子絵の歌である。
作者の「権大納言通光」は源通光である。内大臣源通親の子で、のち太政大臣に至った。巻第一では第二十五首に現れた。第二百三十九首の作者である源通具は兄にあたる。
場面は夏の明け方、場所は駿河国の歌枕である清見潟(現在の静岡市清水区)である。清見が関の置かれた海辺で、東海道の要所であった。
直接の契機は障子絵に添える歌としての詠出である。
初句「清見潟」で場所を掲げる。
二句「月はつれなき」の「つれなし」は素知らぬさま、平然としているさまをいう。第二百九首
第二百三十五首でも月について用いられた語である。夜が明けようとしているのに沈もうとしない月が、無情なものとして扱われる。
三句「天の戸を」の「天の戸」は天の岩戸をいい、転じて夜明けの門の意で用いられる。
四句「待たでも白む」の「で」は打消の接続助詞である。夜明けを待たずに、の意になる。
結句「波の上かな」は体言止めである。空はまだ明けていないのに、波の上だけが白んでいる。白波の色が夜明けに先立つという逆転が示されており、月の無情と波の白さが対をなす。夏の夜の短さが、海辺の景として詠まれている。
きよみがた:駿河国の歌枕。清見が関の置かれた海辺
つれなし:素知らぬさまである。平然としている
あまのと:天の岩戸。転じて夜明けの門
- 作者
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源通光
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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