いとかくや袖はしをれし野辺に出でて
昔も秋の花は見しかど
- 歌の意味
-
これほどまでに袖は萎れたであろうか。野辺に出て、昔も秋の花は見たけれども。
- 鑑賞
-
巻第四 秋歌上 341
詞書「入道前関白右大臣に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに」
秋の花の一連を締めくくる位置にある。同じ花を見ても、昔と今とで涙の量が違うと詠む。詞書の「入道前関白」は藤原兼実で、その右大臣であった時に詠ませた百首歌の一つである。巻第一の第五首、巻第三の第二百一首も同じ百首の詠である。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。本巻では第二百九十一首
第三百一首
第三百五首
第三百二十首に続く五度目の登場となる。
場面は秋、場所は野辺である。
直接の契機は百首歌の詠進である。
初句「いとかくや」は、これほどまでに、の意である。「や」は疑問の係助詞で、二句の「し」に係る。
二句「袖はしをれし」の「しをる」は元気を失う意であるが、ここでは涙に濡れてしなびることをいう。巻第一の第六十三首、巻第三の第二百二十八首でも用いられた語である。
三句「野辺に出でて」で場面が示される。第三百三十五首の躬恒歌も秋の野を分けて進む歌であった。
四句「昔も秋の」の「も」は、昔もまた、の含みである。
結句「花は見しかど」の「しか」は過去の助動詞「き」の已然形、「ど」は逆接である。昔も同じ花を見たけれども、こんなに袖は濡れなかった、という含みで結ぶ。第三百十二首の小町歌が「ありしにも似ぬ袖の露」と詠んだのと同じ、変わらぬ自然と変わる我が身という構図であり、秋の花の一連が老いの述懐で閉じられる形になっている。
いとかく:これほどまでに
しをる:元気を失う。涙に濡れてしなびる
しか:過去の助動詞「き」の已然形
- 作者
-
藤原俊成
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-