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花見にと人やりならぬ野辺に来て
心の限りつくしつるかな

歌の意味
花を見ようと、人に言われたのでもなく自分から野辺に来て、心の限りを尽くしてしまったことだ。
鑑賞
巻第四 秋歌上 342

詞書「筑紫に侍りける時、秋野を見てよみ侍りける」
 前歌が秋の花を見る老いの述懐で結ばれたのを受け、この歌も花を見る心を詠む。詞書によれば筑紫にいたころ、秋の野を見て詠まれた歌である。
 作者の「大納言経信」は源経信である。大納言に至り、和歌のほか漢詩
管絃にも通じた。巻第二では第百二十二首
第百四十八首、巻第三では第百九十七首ほかに現れた。晩年に大宰権帥として筑紫に下り、その地で没した。
 場面は秋、場所は筑紫の野である。
 直接の契機は、任地で秋の野を目にしたことである。

 初句「花見にと」は、花を見ようと思って、の意である。
 二句「人やりならぬ」は、人にやらされたのではない、の意である。誰に促されたのでもなく自分から出かけたことが示され、それだけに心の入れようが深いことになる。
 三句「野辺に来て」で場面が定まる。
 四句「心の限り」は、心の及ぶ限り、ありったけ、の意である。巻第三の第二百四首の紫式部歌でも用いられた語である。
 結句「つくしつるかな」の「つくす」は残らず費やす意で、巻第二の第百首の俊成歌でも「春に心をつくしきぬ」と用いられていた。同時に、詞書に見える任地の名である筑紫の音を響かせており、遠い地にあって心を使い果たしたという含みが生じる。「かな」は詠嘆の終助詞である。

ひとやりならず:人にやらされたのではない。自分から
こころのかぎり:心の及ぶ限り。ありったけ
つくす:残らず費やす
作者
源経信
出典
新古今和歌集
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