寂しさはその色としもなかりけり
真木立つ山の秋の夕暮
- 歌の意味
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寂しさは、これという色があるわけでもなかったのだ。真木の立つ山の、秋の夕暮よ。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 361
詞書「題しらず」
秋の夕暮の五首目である。この歌から第三百六十三首までの三首は、いずれも「秋の夕暮」で結ばれ、三夕の歌と呼ばれて広く知られてきた。詞書は「題しらず」で、詠作の事情は伝わっていない。
作者の寂蓮法師は俗名を藤原定長といい、藤原俊成の甥で養子となった。のちに出家し、『新古今和歌集』の撰者に任じられたが、完成を見ずに没した。巻第一では第五十八首
第八十七首、巻第二では第百五十四首ほか、巻第三では第二百五十二首に現れた。
場面は秋の夕暮、場所は真木の生える山である。「真木」は杉や檜など、良材となる常緑樹をいう。
詠まれた直接の契機は伝わらない。
三首はいずれも紅葉や花といった目立つ景物を用いず、色を欠いた景によって秋の夕暮を捉える点で共通する。
初句「寂しさは」で主題が掲げられる。景ではなく感情の名から歌が始まる。
二句「その色としも」は、これという色として、の意である。「しも」は強意の副助詞である。寂しさに固有の色を求めて、それが見当たらないと述べる。
三句「なかりけり」の「けり」は詠嘆で、なかったのだなという気づきを表す。紅葉のような色に寂しさを求める通念が、ここで退けられる。
四句「真木立つ山の」は常緑樹の山であるから、季節による色の変化がない。色のない景を挙げることで、二句の主張が裏づけられる。
結句「秋の夕暮」は体言止めである。色を否定したうえで、色のない山と夕暮だけを置いて終わる。何も起こらず何も彩られない景をそのまま示す形であり、次の二首も同じ構えをとる。
しも:強意を表す副助詞
まき:杉や檜など、良材となる常緑樹
- 作者
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寂蓮法師
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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