秋風のいたりいたらぬ袖はあらじ
ただわれからの露の夕暮
- 歌の意味
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秋風が届く袖と届かない袖とがあるわけではあるまい。ただ自分自身から生じる露の夕暮なのだ。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 366
詞書は前の歌に続き「秋のうた」
秋の夕暮の十首目である。秋風は誰の袖にも等しく届くのだから、涙は自分自身の内から出るものだと述べる。原文では詞書が改めて記されていない。
作者の鴨長明(一一五五頃〜一二一六)は下鴨社の神職の家に生まれた。和歌と管絃に長じ、のちに出家して『方丈記』を著した。巻第一の第六首
第百四十二首の作者である俊恵法師に和歌を学んだ。
場面は秋の夕暮、場所は特定されない。
直接の契機は秋の歌としての詠出である。
初句
二句「秋風のいたりいたらぬ」は、届くところと届かないところ、の意である。同じ動詞を肯定と否定で重ねる言い方である。
三句「袖はあらじ」の「じ」は打消推量の助動詞で、あるまい、の意になる。風は誰の袖にも等しく吹くという前提が確認される。第三百十首の大弐三位歌が「乱れて置かぬ草の葉ぞなき」と例外のなさを述べたのと同じ型である。
四句「ただわれからの」の「われから」は、自分自身のせいで、の意であるが、同時に海藻につく虫の名でもあり、その名によって「われ」の音が引き出される。涙の原因を外の風ではなく自分に帰する語である。
結句「露の夕暮」は体言止めである。第二百九十七首の越前歌が「心よりおく夕露」と、露を心から生じるものとしたのと同じ主張であり、この巻の初めと終わり近くで同じ考えが繰り返されている。
いたる:届く。到達する
じ:打消推量の助動詞。〜まい
われから:自分自身のせいで。また海藻につく虫の名
- 作者
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鴨長明
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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