- 歌の意味
-
深草の里の月の光も、その寂しさも、住み続けてきたそのままの、野辺の秋風よ。
- 鑑賞
-
巻第四 秋歌上 374
詞書「千五百番歌合に」
深草の里を舞台とし、変わらぬ寂しさを詠む。詞書によれば千五百番歌合に出された歌である。
作者の「右衛門督通具」は源通具である。内大臣源通親の子で、『新古今和歌集』の撰者の一人。本巻では第二百九十四首に続く二度目の登場となる。
場面は秋、場所は山城国の深草である。第二百九十三首の良経歌でも詠まれた地であり、『伊勢物語』において男が女を残して離れる場面の舞台として知られる。
直接の契機は歌合への出詠である。
初句「深草の」は地名であるが、草の深いことを字義とし、荒れた里の連想を伴う。第二百九十三首でも同じ働き方をしていた。
二句「里の月影」の「影」は光をいう。
三句「寂しさも」の「も」は、月の光も寂しさも、の含みである。第三百六十一首の寂蓮歌が「寂しさは」で始まったのと同じ語が、ここでは並列の一項として置かれる。
四句「すみこしままの」の「すむ」は、住む意と、月の光が澄む意とを兼ねる。上の「里」を受ければ住み、上の「月影」を受ければ澄みとなる。「こし」は来し、すなわちそうし続けてきた、の意である。
結句「野辺の秋風」は体言止めである。人が住み続け、月が澄み続けてきた、その変わらなさの中に秋風が吹く。第二百九十三首が人は離れても秋は離れないと詠んだのに対し、この歌は住み続ける側から同じ土地を詠んでいる。
ふかくさ:山城国の地名。現在の京都市伏見区
かげ:月や日の光
すみこし:住み続けてきた意と、澄み続けてきた意を兼ねる
- 作者
-
源通具
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-