武蔵野やゆけども秋の果てぞなき
いかなる風か末に吹くらん
- 歌の意味
-
武蔵野は、いくら行っても秋の果てというものがない。どのような風が、その行く先には吹いているのだろう。
- 鑑賞
-
巻第四 秋歌上 378
詞書「水無瀬にて十首歌たてまつりし時」
果てのない野を行く歌である。詞書によれば水無瀬で十首歌を詠進した折の一首である。水無瀬は後鳥羽院が離宮を営んだ地で、巻第二の第三十六首の後鳥羽院歌でも詠まれた。
作者の「左衛門督通光」は源通光である。内大臣源通親の子で、のち太政大臣に至った。本巻では第三百五十一首に続く二度目の登場となる。
場面は秋、場所は武蔵国の武蔵野である。広大な野として詠まれてきた。
直接の契機は十首歌の詠進である。
初句「武蔵野や」は地名に詠嘆の間投助詞を添えた形である。
二句「ゆけども」の「ども」は逆接である。歩いても歩いても、という含みになる。
三句「秋の果てぞなき」は「ぞ」の係り結びである。「果て」は終わり、限りをいう。野が尽きないことと、秋が尽きないことが重ねられている。
四句「いかなる風か」の「か」は疑問の係助詞で、結句の「らん」に係る。
結句「末に吹くらん」の「末」は行く先、遠い果てをいう。第三百七十三首
第三百七十七首の「末」が草の先を指したのに対し、この歌では空間の果てを指しており、同じ語が規模を変えて用いられている。見えない場所の風を推し量る構成であり、第二百六十六首の俊頼歌が遠くの雨を推し量ったのと同じ型である。
むさしの:武蔵国の野。広大な野として詠まれる
はて:終わり。限り
すゑ:行く先。遠い果て
- 作者
-
源通光
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-