今宵誰すず吹く風を身にしめて
吉野の嶽の月を見るらん
- 歌の意味
-
今宵は誰が、篠竹を吹く風を身にしみて感じながら、吉野の嶽の月を見ているのだろう。
- 鑑賞
-
巻第四 秋歌上 387
詞書は前の歌に続き「題しらず」
月の十二首目である。遠い吉野の山で今この月を見ている者を思いやる。原文では詞書が改めて記されていない。
作者の「従三位頼政」は源頼政である。武人として仕えながら和歌に長じ、従三位に叙された。巻第三では第二百六十七首、本巻では第三百二十九首に続く登場となる。
場面は秋の夜、場所は大和国の吉野である。巻第一の巻頭歌以来、本集でくり返し詠まれてきた地である。
詠まれた直接の契機は伝わらない。
なお本文の四句は「吉野の嶽の」とあり、読み仮名の行の「よしののたけに」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。
初句「今宵誰」は、今宵は誰が、の意である。第三百八十二首の三条院歌が山の向こうの人を思ったのに続き、この歌も遠い場所にいる人を思う。
二句「すず吹く風を」の「すず」は篠竹をいう。細い竹を鳴らす風の音が示される。第三百七十三首の基俊歌の「篠原」と同じ植物である。
三句「身にしめて」の「身にしむ」は身にこたえる、深く感じる意で、本巻の第三百二十二首
第三百七十首でも用いられた語である。
四句「吉野の嶽の」の「嶽」は高い峰をいう。
結句「月を見るらん」は第三百八十二首と同じ結句である。二首が同じ形で、別の場所にいる人の今を推し量っており、並べて置かれている。
すず:篠竹。細い竹
みにしむ:身にこたえる。深く感じる
たけ:高い峰
- 作者
-
源頼政
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-