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ことわりの秋にはあへぬ涙かな
月の桂もかはる光に

歌の意味
悲しむのが道理である秋にさえ、堪えきれない涙であることだ。月の桂も色を変えるという、その光に。
鑑賞
巻第四 秋歌上 391

詞書「題しらず」
 月の十六首目である。秋に悲しむのは当然だが、それでも堪えきれないと詠む。詞書は「題しらず」で、詠作の事情は伝わっていない。
 作者の「皇太后宮大夫俊成女」は藤原俊成の孫で、その養女となった女性である。本巻では第三百七十五首に続く二度目の登場となる。
 場面は秋の夜、場所は特定されない。
 詠まれた直接の契機は伝わらない。
 月に桂の木があるという言い伝えは中国の書物に由来し、巻第三の第二百首の匡房歌でも用いられていた。

 初句「ことわりの」は、道理である、当然である、の意である。秋に悲しむのは理屈として当たり前だという前提が置かれる。
 二句「秋にはあへぬ」の「あふ」は動詞に付いて〜しきる意を添え、「ぬ」は打消である。第三百八十八首の重家歌でも「思ひぞあへぬ」と用いられていた。
 三句「涙かな」で、その堪えきれないものが示される。
 四句「月の桂も」の「も」は、月の桂までも、の含みである。地上の木が紅葉するように、月の桂も色づくという想像が働く。
 結句「かはる光に」は、色の変わった光によって、の意である。月の光そのものが秋の色を帯びているとする。理屈では割り切れないことを、理屈の語である「ことわり」から始めて述べる構成であり、第三百六十七首の西行歌が理由を問うたのと同じ、感情と理屈の関係を扱う型である。

ことわり:道理。当然であること
あふ:動詞に付いて〜しきるの意を添える
つきのかつら:月にあるという桂の木
作者
藤原俊成女
出典
新古今和歌集
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