払ひかねさこそは露の繁からめ
宿るか月の袖の狭きに
- 歌の意味
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払いきれず、さぞかし露は多いのだろう。それにしても月まで宿るのか、この狭い袖に。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 436
詞書「五十首歌たてまつりし時」
巻第四
秋歌上を結ぶ歌である。狭い袖に露が満ち、そのうえ月まで宿ることを詠む。詞書によれば五十首歌を詠進した折の一首である。
作者の藤原雅経は飛鳥井雅経で、『新古今和歌集』の撰者の一人である。本巻では第二百九十八首
第三百六十四首に続く三度目の登場となる。
場面は秋の夜、場所は特定されない。
直接の契機は五十首歌の詠進である。
初句「払ひかね」の「かぬ」は〜しきれない、の意を添える。露を払いきれないことが示される。
二句「さこそは露の」の「さこそ」は、さぞかし、の意で、第三百九十五首の良経歌でも用いられた語である。
三句「繁からめ」の「繁し」は多い、密である、の意である。「め」は推量の助動詞「む」の已然形で、「こそ」の結びとなる。
四句「宿るか月の」の「か」は疑問の終助詞である。露だけでも払いきれないのに、そのうえ月まで宿るのか、という驚きになる。
結句「袖の狭きに」は体言止めで、「に」は逆接に近い働きをする。袖が狭いのに、という含みである。本巻では第三百八十六首
第四百二十四首
第四百三十三首と、袖や露に宿る月がくり返し詠まれてきたが、この歌はその宿る場所の狭さを最後に持ち出しており、巻を締めくくる位置にふさわしい。涙の露と月の光という、この巻の二つの主要な素材が、袖という一点に集められている。
かぬ:〜しきれない
さこそ:さぞかし
しげし:多い。密である
- 作者
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藤原雅経
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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