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過ぎて行く秋の形見にさを鹿の
己が鳴く音も惜しくやあるらん

歌の意味
過ぎてゆく秋の形見として、さ牡鹿は自分の鳴く声さえも惜しく思っているのだろうか。
鑑賞
巻第五 秋歌下 452

詞書「祐子内親王家歌合ののち、鹿の歌よみ侍りけるに」
 鹿を詠む一連の十六首目で、一連の最後の歌である。過ぎてゆく秋の形見として、鹿は自らの鳴く声さえ惜しんでいるのだろうかと思いやる。詞書によれば、祐子内親王家の歌合の後に、鹿を題として詠まれた。
 作者は藤原道長の子で、権大納言に至った。御子左家の祖とされる。
 場面は秋の終わりに近いころ、場所は鹿の鳴く山野である。
 直接の契機は、後朱雀天皇の皇女祐子内親王の家で催された歌合が終わった後、人々が鹿の歌を詠んだことである。

 初句「過ぎて行く」は、今まさに過ぎ去ろうとしている、の意で、秋の終わりが近いことを示す。
 二句「秋の形見に」の「形見」は、過ぎ去ったものを思い出すよすがとなるもので、鹿の声が秋を思い出させるものとして位置づけられる。
 三句「さを鹿の」で、主語が牡鹿であることが示される。
 四句「己が鳴く音も」の「己が」は自分の、「音」は鳴く声で、「も」は、人が秋を惜しむのと同じように鹿もまた、という含みをもつ。
 結句「惜しくやあるらん」の「や」は疑問の係助詞で、現在推量の助動詞「らむ」の連体形「らん」と係り結びをなす。秋が終われば鳴かなくなる自分の声を、鹿自身も秋の形見として惜しんでいるのかと推し量る。巻頭の第四百三十七首以来、鹿の声は人が聞いて哀れを覚えるものとして詠まれてきたが、本歌では鳴く鹿の側がその声を惜しむと転じ、聞く側と鳴く側の立場を反転させて一連を結んでいる。「過ぎて行く秋」の語によって、巻の後半の暮秋へと向かう流れも示される。

かたみ:過ぎ去ったものや人を思い出すよすがとなるもの
ね:鳥獣や虫の鳴く声
作者
藤原長家
出典
新古今和歌集
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