わきてなど庵守る袖のしをるらん
稲葉にかぎる秋の風かは
- 歌の意味
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どうしてとりわけ、庵にいて田を守る者の袖がこれほどしおれるのだろう。秋の風は稲葉にだけ吹くわけではないのに。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 453
詞書「摂政太政大臣家の百首歌合に」
秋の田と秋の寒さを詠む一連の一首目である。秋風は稲葉にだけ吹くのではないのに、なぜ田を守る者の袖ばかりがしおれるのかと問う。詞書によれば、摂政太政大臣藤原良経の家の百首歌合で詠まれた。
作者は関白藤原忠通の子で、九条兼実の弟にあたる。天台座主を四度務め、歴史書『愚管抄』を著した。
場面は秋、場所は田を守るために設けた庵である。
直接の契機は、藤原良経の家で催された百首歌合、いわゆる六百番歌合への詠進である。
初句「わきてなど」の「わきて」は、とりわけ、の意、「など」は、なぜ、の意の疑問の副詞である。
二句「庵守る袖の」は、田を守るために庵にいる者の袖、の意である。本巻の第四百四十八首「小山田の庵」に続いて、田守の庵が詠まれる。
三句「しをるらん」の「しをる」は、露や涙に濡れてぐったりする意で、「らん」は現在推量の助動詞「らむ」の連体形として、初句の「など」を受ける。ここで句が切れる。
四句「稲葉にかぎる」は、稲の葉だけに限って吹く、の意である。
結句「秋の風かは」の「かは」は反語で、秋の風は稲葉にだけ吹くものであろうか、そうではない、の意となる。秋風は誰の身にも等しく吹くのに、田守の袖ばかりが濡れしおれるのはなぜかと、理屈によって田守の哀れを際立たせている。第四百四十九首では稲葉を吹く風が山里の人を目覚めさせたが、本歌はその「稲葉」「秋の風」を受け、風は稲葉に限らないという理屈を差し向けている。袖の濡れる趣向は、次歌の第四百五十四首「衣手寒し露ぞ置きける」へと続く。
わく:区別する。「わきて」で、とりわけ、の意
もる:番をして守る
しをる:草木が生気を失ってぐったりする。袖が露や涙に濡れてぐったりするさまにもいう
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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