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里は荒れて月やあらぬと恨みても
誰浅茅生に衣打つらん

歌の意味
里は荒れ果て、月も昔の月ではないのかと恨みながらも、いったい誰が浅茅の生い茂るこの所で衣を打っているのだろう。
鑑賞
巻第五 秋歌下 478

詞書「和歌所歌合に、月のもとに衣打つといふことを」
 擣衣を詠む一連の四首目である。荒れた里で、月も昔の月ではないのかと恨みながら、誰が浅茅の中で衣を打っているのかと思いやる。詞書によれば、和歌所の歌合で「月のもとに衣打つ」を題として詠まれた。
 作者は九条兼実の子で、摂政太政大臣に至り、後京極殿と称された。新古今集の仮名序を執筆した。
 場面は月の照る秋の夜、場所は浅茅の生い茂った荒れた里である。
 直接の契機は、和歌所で催された歌合で、「月下擣衣」の題が出されたことである。
 二句「月やあらぬ」は、古今集恋五の在原業平「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして」を本歌とする。本歌は、昔の恋人の住んだ所を訪ねて、月も春も昔のままではないのかと嘆いた歌である。

 初句「里は荒れて」は、里が荒れ果てて、の意で、六音の字余りとなっている。
 二句「月やあらぬと」は、業平の本歌の句を取り、月は昔の月ではないのか、の意で、荒れた里で昔を思う嘆きを示す。
 三句「恨みても」の「ても」は逆接で、そのように恨みながらも、の意となる。
 四句「誰浅茅生に」の「浅茅生」は浅茅の生えている所で、荒れた里のさまを示す。本巻の第四百七十四首の浅茅の庭を受けている。
 結句「衣打つらん」の「らん」は現在推量の助動詞「らむ」の連体形で、四句の「誰」を受ける。荒れた里で月を恨む人のもとに、誰とも知れぬ砧の音が響くさまを、姿の見えない打ち手を推し量る形で詠む。業平の本歌が昔と変わった月を嘆いたのを受け、その嘆きの中にも衣を打つ営みが続くことを重ね、題の「月」と「衣打つ」を結んでいる。次歌の第四百七十九首は同じ題で、月を眺めさせるための砧の音と詠み、二首が同じ題を別の心で詠み分ける。

あさぢふ:浅茅の生えている所
うらむ:恨めしく思う、嘆く
作者
藤原良経
出典
新古今和歌集
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