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秋を経てあはれも露もふかくさの
里訪ふものは鶉なりけり

歌の意味
秋を重ねて、あわれも露も深くなった深草の里を訪れるものは、鶉だけであったよ。
鑑賞
巻第五 秋歌下 512

詞書「千五百番歌合に」
 鶉を詠む一連の一首目である。秋を重ねてあわれも露も深くなった深草の里を、訪れるのは鶉だけであったと詠む。詞書によれば、千五百番歌合の歌として詠まれた。
 作者は関白藤原忠通の子で、九条兼実の弟にあたる。天台座主を四度務め、歴史書『愚管抄』を著した。
 場面は荒れまさる晩秋、場所は深草の里である。深草は山城国の歌枕で、京の南、伏見の北にあたる。
 直接の契機は、建仁二年(1202)ごろに成立した千五百番歌合への詠進である。
 古今集雑下の在原業平「年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ」と、その返しの「野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ」を本歌とする。本歌は、男が長年通った深草の里を去ろうとし、女が、野となったら鶉となって鳴いていよう、せめて狩りにでも来てほしいと応じた贈答で、伊勢物語にも見える。

 初句「秋を経て」は、幾度もの秋を過ごして、の意で、本歌の「年を経て」を受ける。
 二句「あはれも露も」は、しみじみとした哀れの思いも、草葉に置く露も、の意で、三句の「ふか」へ続く。
 三句「ふかくさの」は、あはれも露も「深く」なる意と、地名の「深草」とを掛ける掛詞である。本歌の「深草野」を受けて、荒れて草深くなった里を示す。
 四句「里訪ふものは」の「訪ふ」は訪れる意で、人の訪れの絶えた里であることを示す。
 結句「鶉なりけり」の「けり」は気づきの詠嘆で、訪れるものは鶉だけであったよ、の意となる。本歌で女が鶉となって鳴いていようと応じたのを受け、年月を経て人は訪れず、鶉だけが里を訪れているという、本歌の後日を思わせる寂寥を描く。鶉の一連の冒頭に置かれ、次歌の第五百十三首、第五百十四首も鶉の声を詠む。

ふかくさ:あはれも露も「深く」なる意と、地名の「深草」を掛ける
とふ:訪れる
うづら:キジ科の鳥。荒れた野に住み、寂しい声で鳴くものとして詠まれる
作者
慈円
出典
新古今和歌集
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