訪ふ人もあらし吹きそふ秋は来て
木の葉に埋む宿の道芝
- 歌の意味
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訪れる人もあるまい。嵐が吹き加わる秋がやって来て、木の葉に埋もれてゆく我が宿の道の芝よ。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 515
詞書「千五百番歌合に」
暮秋を詠む一連の一首目である。嵐の吹き加わる秋が来て、訪れる人もあるまいと思う宿の道芝が木の葉に埋もれると詠む。詞書によれば、千五百番歌合の歌として詠まれた。
本歌には作者名が記されておらず、前歌を受けて俊成女の歌として配されている。作者は藤原俊成の孫にあたり、その養女となった。後鳥羽院に仕えた女房歌人である。
場面は嵐の吹く晩秋、場所は訪れる人の絶えた住まいの道である。
直接の契機は、建仁二年(1202)ごろに成立した千五百番歌合への詠進である。
初句「訪ふ人も」は、訪れてくる人も、の意で、二句の「あらし」へ続く。
二句「あらし吹きそふ」の「あらし」は、訪う人も「あらじ」、すなわちあるまい、の意と、「嵐」とを掛ける掛詞である。「吹きそふ」は吹き加わる意である。
三句「秋は来て」は、そのような秋がやって来て、の意で、秋の深まりを示す。
四句「木の葉に埋む」は、嵐に散った木の葉が道を埋める、の意である。
結句「宿の道芝」は体言止めで、住まいへ通じる道に生える芝である。人の通わぬ道が木の葉に埋もれるさまに、訪れる人のない暮秋の寂しさを託す。本歌から暮秋の歌に移る。前歌までの第五百十二首の深草の里が鶉のほかに訪うものもなかったのを受け、本歌では木の葉に道まで埋もれて、訪う人の途絶えがいっそう極まっている。
とふ:訪れる
あらし:訪う人も「あらじ」の意と、「嵐」を掛ける
うづむ:覆い隠す、埋める
みちしば:道端に生える芝草
- 作者
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藤原俊成女
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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