長月もいく有明になりぬらん
浅茅の月のいとどさびゆく
- 歌の意味
-
長月も、もう幾度の有明を迎えたのだろうか。浅茅に宿る月の光が、いっそう寂しさを増してゆく。
- 鑑賞
-
巻第五 秋歌下 521
詞書「暮秋の心を」
暮秋を詠む一連の七首目である。長月も幾度の有明を重ねたのか、浅茅に照る月がいっそう寂しくなってゆくと詠む。詞書によれば、「暮秋」を題として詠まれた。
本歌には作者名が記されておらず、前歌を受けて慈円の歌として配されている。作者は関白藤原忠通の子で、天台座主を四度務め、歴史書『愚管抄』を著した。
場面は陰暦九月の末に近い有明のころ、場所は浅茅の生える荒れた庭や野である。
直接の契機は「暮秋」の題による詠である。
初句「長月も」は、陰暦九月も、の意で、「も」は、秋の最後の月もまた、という含みをもつ。
二句「いく有明に」の「いく」は、どれほどの、の意で、有明の月を幾度重ねたかと、月日の過ぎたことを数える。前歌の第五百二十首の「有明」を受ける。
三句「なりぬらん」の「ぬ」は完了、「らん」は現在推量の助動詞「らむ」の連体形で、なったのだろうか、と推し量る。ここで句が切れる。
四句「浅茅の月の」は、浅茅の生えた所を照らす月の、の意である。本巻の第四百六十三首、第四百六十四首、第四百七十四首、第四百七十八首などに詠まれた浅茅の荒れた景を受けている。
結句「いとどさびゆく」の「いとど」は、いっそう、「さびゆく」は、寂しさを増してゆく、の意である。有明を重ねるごとに月の光が寂しくなってゆくと、長月の終わりに近づく暮秋の心を月によって示す。第四百九十首では長月の名を夜の長さに掛けて寝覚めを詠んだが、本歌では長月の有明を数えて秋の終わりの近さを詠み、同じ長月を別の尺度で扱っている。
ながつき:陰暦九月
ありあけ:夜が明けても空に月が残っているころ、またその月
さぶ:寂しくなる、荒涼とする
- 作者
-
慈円
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-