薄霧の立ち舞ふ山の紅葉葉は
さやかならねどそれと見えけり
- 歌の意味
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薄霧が立ちこめて漂う山の紅葉は、はっきりとは見えないけれど、それと分かることだ。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 524
詞書「紅葉透霧といふことを」
紅葉を詠む一連の二首目である。薄霧の漂う山の紅葉は、はっきりとは見えないが、それと分かると詠む。詞書によれば、「紅葉霧を透る」を題として詠まれた。
作者は後白河天皇の皇子で、後鳥羽院の父にあたる。
場面は紅葉の色づく秋、場所は薄霧の漂う山である。
直接の契機は「紅葉透霧」の題による詠である。
初句「薄霧の」は、薄くかかる霧で、題の「霧」にあたる。
二句「立ち舞ふ山の」の「立ち舞ふ」は、霧が立ちのぼって漂い動くさまである。
三句「紅葉葉は」の「は」は、他と区別して示す係助詞で、題の「紅葉」を主題とする。
四句「さやかならねど」の「さやか」は、はっきりしているさまで、「ど」は逆接の接続助詞である。霧のためにはっきりとは見えない。
結句「それと見えけり」の「けり」は詠嘆で、それと分かることだ、の意となる。霧に隔てられながらも、透けて見える色によって紅葉と知られるさまを捉え、題の「透る」を詠む。本巻の第四百九十五首では霧の籬が隔てて遠方人の袖も見えないと詠まれたが、本歌では霧を透して紅葉がそれと見えるといい、霧の隔てを見える側へと反転させている。
たちまふ:霧などが立ちのぼって漂い動く
もみぢば:紅葉した葉
- 作者
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高倉院
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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