神南備の三室の梢いかならん
なべての山も時雨するころ
- 歌の意味
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神南備の三室山の梢は、今ごろどれほど色づいているだろう。ありふれた山々でさえ、時雨が降って色づくころなのだから。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 525
詞書「秋の歌とてよめる」
紅葉を詠む一連の三首目である。ありふれた山々でさえ時雨が降るころなので、紅葉の名所である神南備の三室の梢はどれほどだろうと思いやる。詞書によれば、秋の歌として詠まれた。
作者は鳥羽天皇の皇女八条院暲子内親王に仕えた女房歌人である。
場面は時雨の降る秋、場所は作者の身辺の山々と、遠く思いやる神南備の三室山である。神南備の三室は大和国の歌枕で、紅葉の名所として知られる。
直接の契機は、秋の歌として詠んだことであるが、詠まれた場や年次は記されていない。
初句「神南備の」の「神南備」は、神の鎮まる所の意で、ここでは大和国の三室山のあたりを指す。
二句「三室の梢」は、三室山の木々の枝先で、紅葉の名所の木々を思い浮かべる。
三句「いかならん」の「らん」は現在推量の助動詞「らむ」の終止形で、どのようであろうか、と見えない所を推し量る。ここで句が切れる。
四句「なべての山も」の「なべて」は、ありふれた、並の、の意で、「も」は、名所でない山までも、という含みをもつ。
結句「時雨するころ」は、時雨が降る季節、の意で、倒置によって三句の推量の根拠を示す。時雨が木の葉を染めるという通念を踏まえ、並の山さえ時雨に色づくのだから、名所の三室はさぞ見事だろうと推し量る。次の第五百二十六首も時雨を詠み、第五百二十七首は時雨が紅葉させるという通念に対して、松は時雨に濡れても色を変えないと理屈を差し向けている。
かみなび:神の鎮まる所。ここでは大和国の三室山のあたり
こずゑ:木の枝の先
しぐる:時雨が降る
- 作者
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八条院高倉
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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