心とや紅葉はすらん立田山
松は時雨に濡れぬものかは
- 歌の意味
-
立田山の木々は、自分の心から紅葉するのだろうか。松も時雨に濡れないわけではないのに、色を変えないのだから。
- 鑑賞
-
巻第五 秋歌下 527
詞書「入道前関白太政大臣家に百首歌よみ侍りけるに、紅葉」
紅葉を詠む一連の五首目である。松も時雨に濡れるのに色を変えないのだから、立田山の木々は自らの心で紅葉するのだろうかと問う。詞書によれば、入道前関白太政大臣九条兼実の家の百首歌で「紅葉」を詠んだ。
作者は藤原俊忠の子で、定家の父にあたる。皇太后宮大夫を務め、千載集を撰進した。
場面は時雨の降る秋、場所は立田山である。立田山は大和国の歌枕で、紅葉の名所として知られる。
直接の契機は、九条兼実の家で詠まれた百首歌で、「紅葉」の題を詠んだことである。
初句「心とや」の「心と」は、自分の心から、自発的に、の意で、「や」は疑問の係助詞として二句の「らん」と係り結びをなす。
二句「紅葉はすらん」は、紅葉するのだろうか、の意で、「らん」は現在推量の助動詞「らむ」の連体形である。ここで句が切れる。
三句「立田山」は、紅葉の名所で、紅葉する木々の山として置かれる。
四句「松は時雨に」の「は」は、他と区別して示す係助詞で、紅葉する木々に対して色を変えない松を対比して示す。
結句「濡れぬものかは」の「かは」は反語で、松も時雨に濡れないものだろうか、濡れているのに、の意となる。時雨が木の葉を紅葉させるという通念に対し、同じく時雨に濡れる松が色を変えないことを根拠に、紅葉は木々が自らの心でするものではないかと理屈を差し向けている。前々歌の第五百二十五首が並の山も時雨に色づくと通念にしたがって推し量ったのに対し、本歌はその通念を問い直す。立田山は本巻の第五百三十首でも詠まれる。
もみづ:草木の葉が赤や黄に色づく
しぐれ:晩秋から初冬にかけて降ったりやんだりする雨。木の葉を色づかせるものとされた
- 作者
-
藤原俊成
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-