思ふことなくてぞ見まし紅葉葉を
あらしの山の麓ならずは
- 歌の意味
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何の物思いもなく紅葉を眺めただろうに。ここが、紅葉を散らす嵐という名をもつ嵐山の麓でなかったならば。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 528
詞書「大井川にまかりて紅葉見侍りけるに」
紅葉を詠む一連の六首目である。ここが嵐という名の山の麓でなければ、物思いなく紅葉を見られただろうにと詠む。詞書によれば、大井川に出かけて紅葉を見た折の作である。
作者は平安中期の官人、歌人である。
場面は紅葉の盛りの秋、場所は大井川のほとり、嵐山の麓である。大井川は山城国の嵯峨を流れる川で、嵐山はその西岸にある紅葉の名所である。
直接の契機は、大井川に出かけて紅葉を見物したことである。
初句「思ふことなくてぞ」の「思ふこと」は物思い、心配ごとで、「ぞ」は強意の係助詞である。
二句「見まし」の「まし」は反実仮想の助動詞の連体形で、「ぞ」の結びとなり、物思いなく見ただろうに、の意を表す。ここで句が切れる。
三句「紅葉葉を」は、倒置によって見る対象を示す。
四句「あらしの山の」の「あらし」は、地名の「嵐山」と、紅葉を散らす「嵐」とを掛ける掛詞である。
結句「麓ならずは」の「ずは」は、…でないならば、の意の仮定である。嵐という名をもつ山の麓では、紅葉がいつ散らされるかと気がかりで、心安らかに見られないと、地名に掛けた機知によって紅葉を惜しむ心を詠む。本巻の第四百九十五首「袖も見てまし」と同じく「ずは…まし」の反実仮想を用いる。嵐山は、第四百九十六首の小倉山と大井川を隔てて向かい合う山であり、第五百三十首では立田山の嵐が詠まれて、嵐と紅葉の取り合わせが続く。
あらしのやま:地名の「嵐山」と、紅葉を散らす「嵐」を掛ける
まかる:出かける。「行く」の謙譲語
- 作者
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藤原輔尹
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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