桐の葉も踏み分けがたくなりにけり
必ず人を待つとなけれど
- 歌の意味
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桐の落ち葉も、踏み分けて通るのが難しいほど積もってしまった。必ずしも人を待っているというわけではないけれど。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 534
詞書「百首歌奉りし秋歌」
紅葉を詠む一連の十二首目である。桐の落ち葉も踏み分けがたいほど積もった、必ずしも人を待っているわけではないがと詠む。詞書によれば、百首歌の中の秋の歌として詠まれた。
作者は後白河天皇の皇女で、賀茂の斎院を務めた。藤原俊成に和歌を学んだ。
場面は落ち葉の積もる晩秋、場所は桐の木のある作者の住まいの庭である。
直接の契機は百首歌の詠作である。新古今集でこの詞書は、正治二年(1200)の後鳥羽院初度百首を指すことが多い。
初句「桐の葉も」の「桐」は、大きな葉をもつ落葉樹で、「も」は、他の木の葉とともに桐の葉までも、の意を含む。
二句「踏み分けがたく」は、踏み分けて通りにくいほどに、の意で、落ち葉が深く積もったさまを示す。
三句「なりにけり」の「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「けり」は詠嘆で、そうなってしまったと気づく感慨を表す。ここで句が切れる。
四句「必ず人を」は、結句の「なけれど」と呼応して、必ずしも人を…ではない、の意を表す。
結句「待つとなけれど」の「ど」は逆接の接続助詞で、倒置によって三句に続く。落ち葉に道が埋もれて人の訪れがいよいよ難しくなったことを嘆きかけながら、人を待っているわけではないと打ち消してみせ、かえって待つ心の底にある寂しさをにじませる。本巻の第四百七十首「かならず秋のならひならねど」と同じ「かならず…ねど」の形で、打ち消しながら思いを示す構文である。前歌の第五百三十三首の紅葉に埋もれた宿を受け、次歌の第五百三十五首では「人は来ず」と、訪れのなさがはっきり言われる。
きり:大きな葉をもつ落葉樹
ふみわく:草や落ち葉などを踏み分けて進む
- 作者
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式子内親王
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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