- 歌の意味
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露や時雨が漏れ落ちる守山の山陰の下紅葉を、たとえ濡れても折り取ろう。過ぎてゆく秋の形見として。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 537
詞書「千五百番歌合に」
紅葉を詠む一連の十五首目である。露や時雨の漏れ落ちる守山の山陰の下紅葉を、濡れても秋の形見に折り取ろうと詠む。詞書によれば、千五百番歌合の歌として詠まれた。
作者は藤原光隆の子で、従二位宮内卿に至った。和歌所の寄人であり、新古今集の撰者の一人である。
場面は露や時雨の降る晩秋、場所は守山の山陰である。守山は近江国の歌枕で、露や時雨が「漏る」山として詠まれる。
直接の契機は、建仁二年(1202)ごろに成立した千五百番歌合への詠進である。
古今集秋下の紀貫之「白露も時雨もいたくもる山は下葉残らず色づきにけり」を本歌とする。本歌は、白露も時雨もひどく漏れる守山では、下葉まで残らず色づいたと詠んだ歌である。
初句「露時雨」は、露と時雨で、木の葉を色づかせるものとして並べる。
二句「もる山陰の」の「もる」は、露や時雨が「漏る」意と、地名の「守山」とを掛ける掛詞である。「山陰」は山のかげになった所である。
三句「下紅葉」は、木の下葉が色づいたもので、本歌の「下葉残らず色づきにけり」を受ける。本巻の巻頭歌第四百三十七首も「下紅葉」で起こしており、巻頭の語が巻末近くの紅葉の歌で再び用いられている。
四句「濡るとも折らん」の「とも」は逆接仮定、「ん」は意志の助動詞「む」で、たとえ濡れても折り取ろう、の意である。第四百三十七首では時雨に「濡れてや」鳴く鹿が思いやられたが、本歌では人が自ら濡れることをいとわない。
結句「秋の形見に」は、倒置によって折り取る目的を最後に示す。過ぎてゆく秋を惜しみ、その形見として下紅葉を手元に留めようとする心である。「秋の形見」は、鹿の一連を結んだ第四百五十二首「過ぎて行く秋の形見に」と同じ語で、第五百四十五首「行く秋の形見なるべき」でも用いられ、秋の終わりに近づく巻の後半で繰り返される。
もるやま:露や時雨が「漏る」意と、地名の「守山」を掛ける
やまかげ:山のかげになった所
をる:枝などを折り取る
- 作者
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藤原家隆
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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