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散りかかる紅葉の色は深けれど
渡れば濁る山川の水

歌の意味
水面に散りかかる紅葉の色は深く美しいけれど、渡ると濁ってしまう山川の水であることよ。
鑑賞
巻第五 秋歌下 540

詞書「百首歌奉りし時」
 紅葉を詠む一連の十八首目である。山川に散りかかる紅葉の色は深いが、渡れば水が濁ってしまうと詠む。詞書によれば、百首歌の中の一首として詠まれた。
 作者は源頼政の娘で、二条天皇に仕えた女房歌人である。のちに後鳥羽院の中宮宜秋門院にも仕えた。
 場面は紅葉の散る晩秋、場所は紅葉の散りかかる山川である。
 直接の契機は百首歌の詠作である。新古今集でこの詞書は、正治二年(1200)の後鳥羽院初度百首を指すことが多い。

 初句「散りかかる」は、水面に散り落ちてかかる、の意である。
 二句「紅葉の色は」の「は」は、他と区別して示す係助詞で、紅葉の色を主題とする。
 三句「深けれど」の「ど」は逆接の接続助詞で、紅葉の色は深く美しいけれど、の意である。「深し」は、色の濃さとともに水の深さも思わせる。
 四句「渡れば濁る」は、已然形に「ば」が付いた確定条件で、渡ると濁ってしまう、の意である。
 結句「山川の水」は体言止めである。紅葉を浮かべて深い色をたたえる山川も、人が渡れば底の泥が舞い上がって濁ると、美しさのもろさを捉えている。本巻の第五百三十首は古今集の「渡らば錦中や絶えなむ」を本歌として「渡らぬ水も錦絶えけり」と詠んだが、本歌は渡ることで水が濁ると詠み、渡らぬ水と渡る水とで同じ趣向を反転させている。紅葉の色の「深さ」と水の「濁り」の対比に見どころがある。

ちりかかる:散って落ちかかる
にごる:濁る
作者
二条院讃岐
出典
新古今和歌集
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