古典和歌stream

紅葉葉をさこそあらしの払ふらめ
この山本も雨と降るなり

歌の意味
そちらの嵐山の紅葉を、さぞ嵐が吹き払っていることでしょう。この山のふもとでも、木の葉が雨のように降っています。
鑑賞
巻第五 秋歌下 543

詞書「長月のころ、水無瀬に日ごろ侍りけるに、嵐の山の紅葉涙にたぐふよし申しつかはして侍りける人の返り事に」
 紅葉を詠む一連の二十一首目である。嵐山の紅葉が涙とともに散ると言ってよこした人に、そちらでは嵐が紅葉を払っているだろう、こちらの山のふもとでも雨のように降っていると返す。詞書によれば、九月ごろ水無瀬に滞在していた折の返歌である。
 作者は藤原実宗の子で、のちに太政大臣に至り、西園寺家の祖となった。
 場面は陰暦九月ごろ、場所は作者の滞在する水無瀬と、相手のいる嵐山のあたりである。水無瀬は摂津国の地で、後鳥羽院の離宮が置かれた。
 直接の契機は、水無瀬に数日滞在していたところへ、ある人が嵐山の紅葉が自分の涙とともに散っていると言ってよこしたことである。本歌はその便りへの返事である。

 初句「紅葉葉を」は、相手の便りにあった嵐山の紅葉を受けて、二句以下の「払ふ」の対象を示す。
 二句「さこそあらしの」の「さこそ」は、さぞかし、の意で、三句の「らめ」と係り結びをなす。「あらし」は、地名の「嵐山」と、紅葉を散らす「嵐」とを掛ける掛詞で、相手の便りの「嵐の山」を受けている。
 三句「払ふらめ」の「らめ」は現在推量の助動詞「らむ」の已然形で、「こそ」の結びとなる。そちらでは嵐がさぞ紅葉を吹き払っているでしょう、と相手の地を思いやる。ここで句が切れる。
 四句「この山本も」の「この山本」は、作者のいる水無瀬の山のふもとで、「も」は、そちらと同じくこちらも、の意である。
 結句「雨と降るなり」の「なり」は音声にもとづく推定の助動詞で、木の葉が雨のように降る音がする、の意である。「雨と降る」には、相手の便りの「涙」を受けて、こちらでも涙が雨のように降るという心が重ねられている。相手の「嵐の山」「紅葉」「涙」の語をそれぞれ「あらし」「紅葉葉」「雨」で受けた贈答の返しである。本巻の第五百二十八首と同じく嵐山に嵐を掛け、第五百二十九首「曇らぬ雨と木の葉降りつつ」と同じく落葉を雨に見立てている。

はらふ:吹き払う、取り除く
あらし:地名の「嵐山」と、紅葉を散らす「嵐」を掛ける
たぐふ:伴う、連れ立つ
やまもと:山のふもと
作者
西園寺公経
出典
新古今和歌集
その他の歌