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行く秋の形見なるべき紅葉葉は
明日は時雨と降りやまがはん

歌の意味
過ぎてゆく秋の形見となるはずの紅葉は、明日には時雨と見分けがつかないほどに降り乱れてしまうのだろうか。
鑑賞
巻第五 秋歌下 545

詞書「千五百番歌合に」
 紅葉を詠む一連の二十三首目である。過ぎゆく秋の形見となるはずの紅葉が、明日には時雨と見分けがつかないほど降り散るのだろうかと惜しむ。詞書によれば、千五百番歌合の歌として詠まれた。
 作者は平安末期から鎌倉初期の公卿で、権中納言などを務めた。
 場面は冬の近づく秋の終わり、場所は紅葉の残る山である。
 直接の契機は、建仁二年(1202)ごろに成立した千五百番歌合への詠進である。

 初句「行く秋の」は、過ぎ去ってゆく秋の、の意である。
 二句「形見なるべき」の「べき」は当然の助動詞「べし」の連体形で、形見となるはずの、の意である。本巻の第四百五十二首、第五百三十七首と同じく「秋の形見」を詠む。
 三句「紅葉葉は」の「は」は、他と区別して示す係助詞で、秋の形見となるべき紅葉を主題とする。
 四句「明日は時雨と」は、明日には時雨として、の意で、冬の初めの時雨の季節に移ることを示す。
 結句「降りやまがはん」の「や」は疑問の係助詞、「まがふ」は入り交じって見分けがつかなくなる意、「ん」は推量の助動詞「む」の連体形で、係り結びをなす。秋の形見として留めたい紅葉が、冬になれば時雨と見分けのつかないほど降り散ってしまうだろうと、秋の終わりを惜しむ。前歌の第五百三十七首で濡れても折り取ろうとした秋の形見を、本歌では留めがたく散ってゆくものとして詠み、形見を留める心と失われる予感とが対をなす。紅葉を雨に見立てるのは第五百二十九首、第五百四十三首とも共通する。

かたみ:過ぎ去ったものを思い出すよすがとなるもの
まがふ:入り交じって見分けがつかなくなる
作者
藤原兼宗
出典
新古今和歌集
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