夏草のかりそめにとて来し宿も
難波の浦に秋ぞ暮れぬる
- 歌の意味
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夏草を刈るではないが、ほんのかりそめのつもりで来た宿であったのに、難波の浦で秋が暮れてしまった。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 547
詞書「津の国に侍りけるころ、道済がもとにつかはしける」
秋の終わりを詠む一連の一首目である。ほんのかりそめのつもりで来た宿であったのに、難波の浦で秋が暮れてしまったと詠む。詞書によれば、摂津国にいたころ、源道済のもとに送った歌である。
作者は俗名を橘永愷といい、出家して摂津国の古曽部に住み、諸国を旅して歌を詠んだ。中古三十六歌仙の一人である。
場面は秋の終わり、場所は摂津国の難波の浦である。難波は摂津国の歌枕で、葦の生える浦として詠まれる。
直接の契機は、摂津国に滞在していたころ、歌人の源道済のもとへ近況を伝えて歌を送ったことである。
初句「夏草の」は、夏草を「刈る」ことから、同音の「かり」を含む二句の「かりそめ」を導く序である。
二句「かりそめにとて」の「かりそめ」は、夏草を「刈り」の意を響かせつつ、一時的な、ほんのしばらくの、の意を表す掛詞である。「とて」は、…と思って、の意である。
三句「来し宿も」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、ほんのしばらくのつもりで来た宿であったが、の意を含む。
四句「難波の浦に」は、滞在する摂津国の難波の浦で、の意である。
結句「秋ぞ暮れぬる」の「ぞ」は強意の係助詞で、完了の助動詞「ぬ」の連体形「ぬる」で結ぶ。夏に来てしばらくのつもりが秋の終わりまで長居してしまったと、時の過ぎる速さと旅の身の感慨を友に伝える。この結句は本巻の第四百五十六首「かりがね寒み秋ぞ暮れぬる」と同じで、そちらでも夏の五月雨の田植えから「刈り」を掛けて秋の暮れに至っており、夏から秋の終わりまでの時を「かり」の掛詞で結ぶ構図を共有する。前歌の第五百四十六首で秋の去る道が見出されたのを受け、ここから秋の終わりを惜しむ巻末の歌が始まる。
かりそめ:夏草を「刈り」の意を響かせ、一時的な、しばらくの意を表す
なには:摂津国の地名。葦の生える浦として詠まれる
- 作者
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能因
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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