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身にかへていざさは秋を惜しみ見ん
さらでももろき露の命を

歌の意味
この身と引き替えにしてでも、さあそれならば秋を惜しんでみよう。そうでなくても、露のようにもろいはかない命なのだから。
鑑賞
巻第五 秋歌下 549

詞書「五十首歌よませ侍りけるに」
 秋の終わりを詠む一連の三首目である。そうでなくてももろい露の命なのだから、この身に替えてでも秋を惜しもうと詠む。詞書によれば、作者が歌人たちに五十首歌を詠ませた折の一首である。
 作者は後白河天皇の皇子で、仁和寺の門跡となった。
 場面は秋の終わり、場所は作者の身辺である。
 直接の契機は、作者自身が歌人たちに詠ませた五十首歌の中で、自らも詠んだことである。

 初句「身にかへて」は、この身と引き替えにして、の意で、命をかけるほどの強い思いを示す。
 二句「いざさは秋を」の「いざ」は、さあ、と自らを促す語、「さは」は、それならば、の意である。
 三句「惜しみ見ん」の「ん」は意志の助動詞「む」で、惜しんでみよう、の意である。ここで句が切れる。前歌の第五百四十八首の、老いてもなお秋の暮れが悲しいという嘆きを受けて、ここでは秋を惜しむ意志が示される。
 四句「さらでももろき」の「さらでも」は、そうでなくても、の意で、秋を惜しまなくても、もともともろい、の意となる。
 結句「露の命を」の「露の命」は、露のようにはかない命で、「を」は詠嘆の間投助詞とも、逆接的に、…であるのに、の意を含むとも読める。どうせもろい露の命なのだから、それを惜しまず秋を惜しもうと、命と秋との重さを比べて、秋を惜しむ心の深さを示す。「露」は本巻の第四百六十一首からの露の一連で涙や物思いと結ばれてきた景物であり、ここでは人の命のはかなさの喩えとして、秋の終わりと人の生とを重ねている。次歌の第五百五十首は「惜しむかな」と、同じ惜しむ心で巻を閉じる。

かふ:引き替えにする
をしむ:失われるのを残念に思う
作者
守覚法親王
出典
新古今和歌集
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