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うち群れて散る紅葉葉を尋ぬれば
山路よりこそ秋は行きけれ

歌の意味
人々と連れ立って、散る紅葉を尋ねて行くと、秋は山路を通って去ってゆくのであったよ。
鑑賞
巻第五 秋歌下 546

詞書「紅葉見にまかりてよみ侍りける」
 紅葉を詠む一連の二十四首目で、一連の最後の歌である。連れ立って散る紅葉を尋ねてゆくと、秋は山路を通って去ってゆくのだと気づく。詞書によれば、紅葉を見に出かけた折の作である。
 作者は関白藤原頼忠の子で、権大納言に至った。詩歌管絃に優れ、『和漢朗詠集』を撰した。
 場面は紅葉の散る秋の終わり、場所は紅葉を尋ねて入った山路である。
 直接の契機は、紅葉を見物に出かけたことである。

 初句「うち群れて」の「うち」は接頭語で、人々と連れ立って、の意と解される。
 二句「散る紅葉葉を」は、散りゆく紅葉を、の意で、紅葉の盛りを過ぎたことを示す。
 三句「尋ぬれば」は、已然形に「ば」が付いた形で、尋ねて行くと、の意である。本巻の第四百四十一首「鹿のたちどを尋ぬれば」では尋ねた先に秋風が吹くばかりであったが、本歌では尋ねた先に秋の去る道を見出す。
 四句「山路よりこそ」の「より」は経由を表す格助詞で、「こそ」は強意の係助詞として結句の「けれ」と係り結びをなす。
 結句「秋は行きけれ」の「けれ」は気づきの詠嘆の助動詞「けり」の已然形である。散る紅葉を追って山路に入ると、紅葉の散ってゆく方へ秋そのものが去ってゆくのだと気づいたという、秋を旅人のように擬人化した発見の歌である。紅葉の一連を結ぶにあたり、紅葉の散る先を秋の行方と見定めて、次の第五百四十七首からの秋の終わりの歌へと橋を渡している。第四百五十二首「過ぎて行く秋」とも響き合う。

うちむる:連れ立つ、群がる
たづぬ:ありかを探し求めて行く
やまぢ:山の中の道
作者
藤原公任
出典
新古今和歌集
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