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竜田姫今はのころの秋風に
時雨を急ぐ人の袖かな

歌の意味
竜田姫が秋に別れを告げる今はの際の秋風に、時雨の降る季節を待たずに、先を急ぐように涙に濡れる人の袖であることよ。
鑑賞
巻第五 秋歌下 544

詞書「家に百首歌合し侍りける時」
 紅葉を詠む一連の二十二首目である。竜田姫が秋に別れる今はの際の秋風に、時雨より先に涙に濡れる人の袖を詠む。詞書によれば、作者が自邸で催した百首歌合の折の作である。
 作者は九条兼実の子で、摂政太政大臣に至り、後京極殿と称された。新古今集の仮名序を執筆した。
 場面は秋の終わり、冬の時雨の近づくころで、場所は秋風の吹く所である。竜田姫は立田山を神格化した秋の女神で、木々を紅葉に染めるとされる。
 直接の契機は、藤原良経が左大将であったころに自邸で催した百首歌合、いわゆる六百番歌合への詠進である。

 初句「竜田姫」は、秋をつかさどる女神で、紅葉を染めるとされる。
 二句「今はのころの」の「今は」は、別れの時、最期の時で、竜田姫が秋とともに去ろうとする時を指す。
 三句「秋風に」は、秋の最後に吹く秋風に、の意である。
 四句「時雨を急ぐ」は、冬の初めに降る時雨の季節を待たずに急ぐ、の意で、時雨の前に涙が降ることを言う。
 結句「人の袖かな」の「かな」は詠嘆の終助詞である。秋の女神の去る別れを惜しんで、時雨の降るより早く人の袖が涙に濡れるさまを、「急ぐ」の擬人的な語で捉えている。本巻の第五百二十七首、第五百三十首に詠まれた立田山を女神の名として呼び出し、第五百二十五首から第五百二十七首までの時雨と紅葉の取り合わせを、秋の終わりの別れの涙へと転じている。

たつたひめ:秋をつかさどる女神。木々を紅葉に染めるとされる
いまは:別れの時、最期の時
いそぐ:先を急ぐ、早くする
作者
藤原良経
出典
新古今和歌集
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