古典和歌stream

神無月風に紅葉の散る時は
そこはかとなく物ぞ悲しき

歌の意味
神無月に、風に吹かれて紅葉が散る時は、どこがどうというわけでもなく、何とはなしに物悲しい。
鑑賞
巻第六 冬歌 552

詞書「天暦御時、神無月といふことを上に置きて歌仕うまつりけるに」
 初冬を詠む一連の二首目である。神無月に風で紅葉が散る時は、何とはなしに物悲しいと詠む。詞書によれば、村上天皇の天暦の御代に、「神無月」という語を歌の初めに置いて詠進した歌である。
 作者は右大臣藤原師輔の子で、若くして比叡山で出家し、のちに多武峰に住んで多武峰少将と呼ばれた。三十六歌仙の一人である。
 場面は神無月(陰暦十月)、場所は風に紅葉の散る所である。
 直接の契機は、村上天皇の天暦年間に、「神無月」の語を初句に据える趣向で歌を詠進したことである。

 初句「神無月」は陰暦十月の異称で、冬の最初の月である。詞書の「上に置きて」という指示のとおり、題の語がそのまま初句に据えられている。
 二句「風に紅葉の」は、風に吹かれる紅葉をいう。秋の名残である紅葉が、冬の風の中に置かれる。
 三句「散る時は」の「は」は、ほかの時と区別して取り立てる働きで、紅葉の散る時にかぎって、という限定を添える。
 四句「そこはかとなく」は、どこがどうと言い表せないさまをいう。悲しみの理由を特定しないことで、景そのものから湧く思いとして示される。
 結句「物ぞ悲しき」は、係助詞「ぞ」を受けて形容詞「悲し」の連体形「悲しき」で結ぶ係り結びである。巻第五の第五百四十八首も「物ぞ悲しき」で結ばれて暮れの秋の悲しみを詠んでおり、同じ結句が秋の終わりから冬の初めへと引き継がれている。本巻の第五百六十四首も同じ結句で、木の葉の乱れる山里の夕暮れを詠む。

かみなづき:陰暦十月の異称
つかうまつる:貴人のために歌などを詠んで差し上げる
作者
藤原高光
出典
新古今和歌集
その他の歌