木の葉散る宿に片敷く袖の色を
ありとも知らでゆく嵐かな
- 歌の意味
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木の葉の散る宿で、ひとり片袖を敷いて寝る、その袖の紅の色を、ここにもあるとも知らないで吹き過ぎてゆく嵐であることよ。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 559
詞書「春日社歌合に落葉といふことをよみて奉りし」
落葉を詠む一連の七首目である。木の葉の散る宿で独り寝の袖が紅の涙に染まっているのに、嵐はその袖にも紅の色があるとは知らずに吹き過ぎてゆくと詠む。詞書によれば、春日社歌合に「落葉」の題で詠んで奉った歌である。
作者は関白藤原忠通の子で、天台座主を四度務め、歴史書『愚管抄』を著した。
場面は木の葉の散る冬の夜、場所は嵐の吹き過ぎる宿である。
直接の契機は、元久元年(1204)の春日社歌合での「落葉」の題による詠である。本巻の第五百六十五首まで、同じ歌合の「落葉」の歌が並ぶ。
初句「木の葉散る」は、木の葉がしきりに散る景を示し、二句の「宿」にかかる。
二句「宿に片敷く」の「片敷く」は、衣の片袖だけを敷いて寝ること、すなわち独り寝をいう。
三句「袖の色を」は、独り寝の悲しみに流した涙で紅に染まった袖の色をいい、六音の字余りである。紅の涙の色が、散る紅葉の色に重ねられている。
四句「ありとも知らで」は、そこにもあるとも知らないで、の意で、「で」は打消の接続助詞である。嵐は紅の木の葉を散らしてゆくが、袖に残る紅には気づかない、という見立てである。
結句「ゆく嵐かな」は、吹き過ぎてゆく嵐を詠嘆の終助詞「かな」で結ぶ。紅葉を散らし尽くす嵐も袖の紅までは奪えず、悲しみの色だけが残される。次歌の第五百六十首は同じ初句「木の葉散る」で始まり、同じく袖と涙の色を詠む。
かたしく:衣の片袖だけを敷いて独りで寝る
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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