冬の来て山もあらはに木の葉降り
残る松さへ峰に寂しき
- 歌の意味
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冬が来て、山の地肌もあらわになるほどに木の葉が降り、散り残る松までもが峰に寂しく見える。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 565
詞書は前の歌に続き「春日社歌合に落葉といふことをよみて奉りし」
落葉を詠む一連の十三首目である。冬が来て木の葉が降り、山の地肌もあらわになったなかで、散り残った松までが峰に寂しく見えると詠む。詞書は前歌から続き、同じ春日社歌合で「落葉」の題で詠まれた歌である。
作者は近江国の日吉社の禰宜を務めた祝部氏の歌人で、祝部允仲の子、祝部成仲の孫にあたる。
場面は木の葉の散り落ちた初冬、場所は松の残る山の峰である。
直接の契機は、前歌と同じく、元久元年(1204)の春日社歌合での「落葉」の題による詠である。
この歌は後鳥羽院に高く評価され、成茂はこの歌合での詠が認められて叙爵したとされる。一方、後世にはこの歌が歌屑と呼ばれていたことが、兼好の『徒然草』第十四段に見える。
初句「冬の来て」は、冬が来て、の意で、「の」は主格を示す。前歌までの嵐の吹く頃を受け、ここで冬の到来が言葉として示される。
二句「山もあらはに」は、木の葉が落ちて山の地肌があらわに見えるさまをいう。
三句「木の葉降り」は、木の葉が降るように散るさまで、連用形で四句へ続く。一連の「落葉」の題が、散り落ちたあとのあらわな山の景として示される。
四句「残る松さへ」の「さへ」は、そのうえ…までも、と添加する副助詞である。常緑の松は冬にも色を変えないものとされてきたが、その松までもが寂しく見えるとする。
結句「峰に寂しき」は、形容詞「寂し」の連体形で結び、余情を残す。散る木の葉ではなく散り残るものの寂しさに目を向けており、本巻の第五百五十七首の「峰の嵐」から続く峰の景を、あらわになった山と松の姿で描いている。
ねぎ:神社に仕える神職の一つ
うたくづ:出来の劣った歌
- 作者
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祝部成茂
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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