時雨かと聞けば木の葉の降るものを
それにも濡るる我が袂かな
- 歌の意味
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時雨かと思って聞くと、実は木の葉が降っているのであるのに、それにも濡れる私の袂であることよ。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 567
詞書「頼輔卿家歌合に落葉の心を」
落葉を詠む一連の十五首目である。時雨の音かと聞けば木の葉の散る音であるのに、その木の葉にさえ袂は濡れると詠む。詞書によれば、藤原頼輔の家の歌合で落葉の心を詠んだ歌である。
作者は平安時代末期の廷臣で、少納言を務めた。原文の作者表記にある「朝臣」は、四位、五位の者の名に付ける敬称である。
場面は木の葉の散る初冬、場所は木の葉の降る音の聞こえる所である。
直接の契機は、藤原頼輔の家で催された歌合での「落葉」の題による詠である。「頼輔卿」の「卿」は、三位以上の者の名に付ける敬称である。
初句「時雨かと」は、時雨であろうかと、の意である。音を聞いて時雨を思う。
二句「聞けば木の葉の」は、聞いてみると木の葉の、の意で、時雨と思った音の正体が木の葉であることが明かされる。本巻の第五百六十首が木の葉と時雨の紛れを目で捉えたのに対し、この歌は耳で捉えている。
三句「降るものを」の「ものを」は逆接の接続助詞で、木の葉が降っているのに、の意となる。木の葉が「降る」と、時雨の縁で表されている。
四句「それにも濡るる」は、その木の葉にも濡れる、の意である。時雨ではないので本来は濡れるはずがないが、それでも袂が濡れることをいい、落葉の寂しさに流す涙が示される。
結句「我が袂かな」は、詠嘆の終助詞「かな」で結ぶ。時雨ならば濡れるのは当然であるが、木の葉にさえ濡れるという理屈によって、悲しみの深さを示している。本巻の第五百七十五首は、木枯らしの音に時雨を聞き分けられず、濡れた袂を紅葉に濡れたものと見る歌で、時雨と木の葉の取り違えを逆の側から詠んでいる。
たもと:袖、特に袖の垂れ下がった部分
- 作者
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藤原資隆
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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