- 歌の意味
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唐錦のような紅葉は秋の形見であるのに、それを裁ち切ろうというのか。竜田山では、散りきらずに残る枝に嵐の吹く音がする。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 566
詞書「五十首歌奉りし時」
落葉を詠む一連の十四首目である。唐錦のような紅葉は秋の形見であるのに、それを裁ち切るかのように、竜田山では散りきらずに残る枝に嵐が吹いていると詠む。詞書によれば、五十首歌を奉った時の歌である。
作者は源師光の娘で、後鳥羽院に女房として仕え、院の歌壇で活躍したが、若くして没した。
場面は紅葉の散り残る初冬、場所は大和国の竜田山である。
直接の契機は五十首歌の詠進である。詞書には、どの催しでの五十首であるかは記されていない。
初句「唐錦」は、唐から伝わった美しい錦で、ここでは色とりどりの紅葉を錦に見立てている。
二句「秋の形見や」は、過ぎ去った秋を思い出させる形見をいい、「や」は疑問の係助詞である。巻第五の第五百四十五首も紅葉を「ゆく秋の形見」と詠んでおり、秋の巻で形見とされた紅葉が、冬の巻では嵐にさらされるものとして詠まれている。
三句「たつた山」は大和国の歌枕で、紅葉の名所として知られる竜田山である。「たつ」には錦を「裁つ」意が掛けられ、初句の「唐錦」の縁語となっている。秋の形見である錦を裁ち切るのか、と問いかけて三句で切れる。
四句「散りあへぬ枝に」は、散りきらずに葉の残る枝に、の意である。「あへぬ」は、しきれない意を添える。
結句「嵐吹くなり」の「なり」は、音によって推し量る伝聞推定の助動詞である。残り少ない紅葉に吹く嵐を音で捉えて結ぶ。前歌が散り残る松の寂しさを詠んだのに対し、この歌は散り残る紅葉の枝に吹く嵐を詠み、残るものに目を向ける点で並んでいる。本巻の第五百六十一首の「声すなり」とも、音によって嵐を捉える趣向が共通している。
からにしき:唐から伝わった美しい錦
かたみ:過ぎ去ったものを思い出すよすがとなるもの
たつ:竜田山の「たつ」に、錦を裁つ意を掛ける
ちりあふ:すっかり散りきる
- 作者
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後鳥羽院宮内卿
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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