月を待つ高嶺の雲は晴れにけり
心あるべき初時雨かな
- 歌の意味
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月の出を待つ高嶺にかかっていた雲は晴れた。心があるにちがいない初時雨であることよ。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 570
詞書は前の歌に続き「題しらず」
時雨を詠む一連の一首目である。月の出を待つ高嶺の雲が晴れたのを見て、降り過ぎた初時雨には心があるにちがいないと詠む。詞書は前歌から続き題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
作者は俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが、二十三歳で出家して諸国を旅し、家集『山家集』を残した。
場面は月の出を待つ初冬の夜、場所は高嶺を望む所である。
直接の契機は伝わらない。
初句「月を待つ」は、月の出を待つ、の意で、二句の「高嶺」にかかる。
二句「高嶺の雲は」は、高い峰にかかっていた雲をいう。月の出る峰の雲が、月を隠すものとして示される。
三句「晴れにけり」は、晴れたことだ、の意で、「けり」は気づきの詠嘆を表す。ここで切れる三句切れである。
四句「心あるべき」は、情趣を解する心があるにちがいない、の意で、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形である。
結句「初時雨かな」は、詠嘆の終助詞「かな」で結ぶ。時雨は降っては過ぎてゆくもので、その初時雨が降り過ぎて高嶺の雲も晴れ、月を待つ人に空を開いたと、時雨に心を認めている。前歌までの木枯らしの激しさから一転して、時雨を月の友として詠み、時雨の一連の始まりに置かれている。本巻の第五百六十二首が、初時雨の染めた紅葉を嵐が散らすと詠んだのに対し、この歌の初時雨は人の心を解するものとして描かれている。
たかね:高い峰
はつしぐれ:その冬初めて降る時雨
- 作者
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西行
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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