古典和歌stream

晴れ曇り時雨は定めなきものを
ふり果てぬるは我が身なりけり

歌の意味
晴れたり曇ったりして、時雨は降り方の定まらないものであるのに、すっかり降り果て、古びきってしまったのは我が身であったことよ。
鑑賞
巻第六 冬歌 586

詞書は前の歌に続き「題しらず」
 時雨を詠む一連の十七首目である。晴れたり曇ったりと定まらない時雨とは違い、すっかり古びきってしまったのは我が身であったと、老いを嘆く。詞書は前歌から続き題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
 作者は俗名を藤原敦頼といい、晩年に出家して道因と号した。老年に至るまで和歌に深く執心したことで知られる。
 場面は時雨の降る頃、場所は明示されていない。
 直接の契機は伝わらない。

 初句「晴れ曇り」は、晴れたり曇ったりする、の意で、時雨の空の移り変わりを示す。
 二句「時雨は定め」は、三句へ続いて、時雨は降り方が定まらない、の意となる。
 三句「なきものを」の「ものを」は逆接の接続助詞で、定めないものであるのに、の意となる。二句から三句にかけて「定めなき」の一語がまたがっている。
 四句「ふり果てぬるは」の「ふり」には、時雨が「降り」果てる意と、身が「古り」果てる、すなわちすっかり老いてしまう意が掛けられている。「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形である。
 結句「我が身なりけり」は、我が身であったことだ、の意で、「けり」は気づきの詠嘆を表す。時雨は定めなく降ったりやんだりするのに、すっかり降り果てたのは自分の身の方であったという理屈で、老いを嘆いている。本巻の第五百八十三首が世に「ふる」身を詠んだのに続き、同じく「ふる」の掛詞によって時雨と身の上を重ねている。

ふりはつ:時雨が降り果てる意と、身がすっかり古びて老いる意を掛ける
作者
道因
出典
新古今和歌集
その他の歌