世にふるは苦しきものを真木の屋に
やすくも過ぐる初時雨かな
- 歌の意味
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この世に生きて年を経るのは苦しいものであるのに、真木の屋の上をたやすく降り過ぎてゆく初時雨であることよ。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 590
詞書「千五百番歌合に冬歌」
時雨を詠む一連の二十一首目である。世を経ることは苦しいのに、真木の屋の上をたやすく降り過ぎてゆく初時雨を見て、わが身と引き比べる。詞書によれば、千五百番歌合で冬の歌として詠まれた歌である。
作者は源頼政の娘で、二条天皇に女房として仕えた。
場面は初時雨の降る初冬、場所は真木の板で屋根を葺いた家のうちである。
直接の契機は、後鳥羽院が催した千五百番歌合での冬の歌の詠である。
後世、連歌師の宗祇がこの歌を踏まえて「世にふるもさらに時雨の宿りかな」と詠み、さらに松尾芭蕉がその句を受けて「世にふるもさらに宗祇のやどりかな」と詠んでいる。
初句「世にふるは」の「ふる」には、世を「経る」意と、時雨の「降る」意が掛けられている。
二句「苦しきものを」の「ものを」は逆接の接続助詞で、苦しいものであるのに、の意となる。
三句「真木の屋に」は、杉や檜の板で屋根を葺いた家に、の意で、前歌の初句と同じ語である。
四句「やすくも過ぐる」は、たやすく過ぎてゆく、の意である。時雨がさっと降っては過ぎてゆくさまをいい、世を経ることの苦しさと対比される。
結句「初時雨かな」は、詠嘆の終助詞「かな」で結ぶ。同じ「ふる」でも、時雨はたやすく降り過ぎるが、人が世に経るのは苦しいという対比によって、身の上の嘆きを時雨に託している。本巻の第五百七十首と同じ結句であり、そこでは心ある初時雨が詠まれたのに対し、この歌では人の苦しみをよそに過ぎてゆく初時雨が詠まれている。前歌が真木の屋に紅葉の積もる時雨を詠んだのを受け、同じ真木の屋を舞台に、時雨の降り過ぎる軽やかさへと目を移している。
ふる:世を経る意と、時雨が降る意を掛ける
まきのや:杉や檜などの板で屋根を葺いた家
- 作者
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二条院讃岐
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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