今はとて寝なましものを時雨れつる
空とも見えず澄める月かな
- 歌の意味
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もう今はこれまでと寝てしまうところであったのに、さっきまで時雨れていた空とも見えないほど澄んだ月であることよ。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 600
詞書「雨後冬月といへる心を」
冬の月を詠む一連の十首目である。もう寝ようとしていたが、時雨れていた空とも思えないほど月が澄んでいると詠む。詞書によれば、「雨後冬月」の題で詠まれた歌である。
作者は比叡山の僧で、生没年や出自は明らかでない。
場面は時雨の過ぎた冬の夜、場所は澄んだ月を仰ぐ所である。
直接の契機は「雨後冬月」(雨の後の冬の月)の題による詠である。
初句「今はとて」は、もう今はこれまでと思って、の意である。
二句「寝なましものを」の「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形、「まし」は反実仮想の助動詞で、月が澄まなかったならば寝てしまっていただろうに、の意となる。「ものを」は逆接の接続助詞である。
三句「時雨れつる」は、さっきまで時雨れていた、の意で、「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形であり、四句の「空」にかかる。
四句「空とも見えず」は、その空とも見えない、の意である。
結句「澄める月かな」は、澄みわたる月であることよ、の意で、「る」は存続の助動詞「り」の連体形である。時雨れていた空と、澄んだ月の空との急な転換に驚く歌で、題の「雨後冬月」を、寝ようとした心の変化によって描いている。前歌までのむら雲に隠される月から、雲の晴れきった月へと移り、本巻の第五百七十首が初時雨の後に雲の晴れた高嶺を詠んだのとも呼応している。
ぬ:寝る
- 作者
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良暹
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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