- 歌の意味
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秋の色をすっかり払い尽くしてしまったからか、今は月の桂にまで吹きつける木枯らしの風よ。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 604
詞書「五十首歌奉りし時」
冬の月を詠む一連の十四首目である。紅葉を払い尽くした木枯らしが、今度は月に生えるという桂の木にまで吹いているのかと詠む。詞書によれば、五十首歌を奉った時の歌である。
作者は刑部卿藤原頼経の子で、蹴鞠と和歌の家である飛鳥井家の祖となった。『新古今和歌集』の撰者の一人である。
場面は木枯らしの吹く冬の夜、場所は月を仰ぐ所である。
直接の契機は五十首歌の詠進である。詞書には、どの催しでの五十首であるかは記されていない。
月に桂の木が生えるという伝承は中国に由来し、『古今和歌集』の壬生忠岑の歌「久方の月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ」では、月の桂も秋には紅葉するので月が照りまさると詠まれている。
初句「秋の色を」は、秋の色、すなわち紅葉を、の意で、六音の字余りである。
二句「払ひ果ててや」は、すっかり払い尽くしてしまったからか、の意で、「や」は疑問の係助詞である。
三句「久方の」は「月」にかかる枕詞である。
四句「月の桂に」は、月に生えるという桂の木に、の意である。『古今和歌集』の壬生忠岑の歌が秋に紅葉するとした月の桂を受け、その紅葉までも木枯らしが払おうとしていると想像している。
結句「木枯らしの風」は体言止めで、本巻の第五百六十九首と同じ結句である。地上の紅葉を散らし尽くした木枯らしが、天上の月の桂にまで及ぶという大きな想像によって、冬の月の冴えを示している。前歌が木の葉の散った梢に晴れる月を見たのに対し、この歌は月の桂の紅葉までが払われる月を詠み、落葉と月の取り合わせを地上から天上へと押し広げている。
はらひはつ:すっかり払い尽くす
つきのかつら:月に生えているという桂の木
- 作者
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藤原雅経
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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