野辺見れば尾花がもとの思ひ草
枯れゆく冬になりぞしにける
- 歌の意味
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野辺を見ると、尾花の根もとに生える思ひ草も、枯れてゆく冬になってしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 624
詞書「題しらず」
霜と冬枯れを詠む一連の十四首目である。野辺を見ると、尾花の根もとの思ひ草も枯れてゆく冬になったと詠む。詞書は題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
作者は越前守大江雅致の娘で、和泉守橘道貞の妻となったことから和泉式部と呼ばれ、のちに中宮彰子に仕えた。
場面は草の枯れてゆく冬、場所は尾花の生える野辺である。
直接の契機は伝わらない。
尾花の下に生える思ひ草の取り合わせは、『万葉集』にも詠まれている。
初句「野辺見れば」は、野辺を見ると、の意で、「ば」は已然形に付く確定条件である。
二句「尾花がもとの」の「尾花」は、穂の出た薄をいい、その根もとの、の意である。
三句「思ひ草」は、薄などの根もとに寄生して咲く草で、ナンバンギセルとされる。その名から、物思いのさまに通う草として詠まれてきた。
四句「枯れゆく冬に」は、枯れてゆく冬に、の意で、思ひ草の枯れる時節を示す。
結句「なりぞしにける」は、なってしまったことだ、の意で、係助詞「ぞ」を受けて過去の助動詞「けり」の連体形「ける」で結ぶ係り結びである。秋の野に咲いた思ひ草の枯れてゆくさまによって、冬の到来を知る歌である。本巻の第六百十七首が霜枯れて見分けのつかない草の原を詠み、第六百十八首が刈り残された薄を詠んだのに続き、枯れてゆく野の草が詠まれている。
をばな:穂の出た薄
おもひぐさ:薄などの根もとに寄生して咲く草で、ナンバンギセルとされる
- 作者
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和泉式部
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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