津の国の難波の春は夢なれや
葦の枯れ葉に風渡るなり
- 歌の意味
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津の国の難波の春は、夢であったのだろうか。今は葦の枯れ葉に風の吹き渡る音がする。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 625
詞書は前の歌に続き「題しらず」
霜と冬枯れを詠む一連の十五首目である。本歌に称えられた難波の春の景色は夢であったのか、今は葦の枯れ葉に風が吹き渡ると詠む。詞書は前歌から続き題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
作者は俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが、二十三歳で出家して諸国を旅し、家集『山家集』を残した。
場面は冬、場所は摂津国の難波である。
直接の契機は伝わらない。
本歌は『後拾遺和歌集』の能因の歌「心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春のけしきを」である。本歌で称えられた難波の春の景色を、冬の枯れ葦の景と対比している。
初句「津の国の」は、摂津国の、の意で、本歌の三句をそのまま取った語である。
二句「難波の春は」は、本歌の「難波わたりの春のけしき」を受けている。難波は今の大阪市のあたりで、葦の生い茂る入江として詠まれてきた歌枕である。
三句「夢なれや」は、夢であったのだろうか、の意で、「や」は疑問を表す。ここで切れる三句切れである。
四句「葦の枯れ葉に」は、冬になって枯れた葦の葉に、の意である。
結句「風渡るなり」の「なり」は、音によって推し量る伝聞推定の助動詞で、風の吹き渡る音が聞こえることをいう。本歌が見せたいと称えた難波の春の景色を、枯れ葦に風の音ばかりがする冬の景と対比し、春の景色を夢と見る歌である。前歌の枯れてゆく思ひ草に続いて冬枯れの景を詠み、次歌の第六百二十六首も難波江の葦の群立ちを詠んでいる。
あし:水辺に生えるイネ科の草
かれは:枯れた葉
- 作者
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西行
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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