降る雪に焚く藻の煙かき絶えて
寂しくもあるか塩竈の浦
- 歌の意味
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降る雪のために、藻塩を焼く煙もすっかり絶えて、なんと寂しいことか、塩竈の浦は。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 674
詞書「家に百首歌よませ侍りけるに」
雪を詠む一連の十八首目である。降る雪のために藻塩を焼く煙も絶えて、塩竈の浦はなんと寂しいことかと詠む。詞書によれば、自邸で人々に百首歌を詠ませた折の歌である。
作者は関白藤原忠通の子で、摂政、関白、太政大臣を務め、日記『玉葉』を残した。慈円の兄で、藤原良経の父である。
場面は雪の降る冬、場所は陸奥国の塩竈の浦である。
直接の契機は、自邸で人々に百首歌を詠ませた折の詠である。
塩竈の浦の煙の絶えた寂しさを詠む先例として、『古今和歌集』の紀貫之の歌「君まさで煙絶えにし塩竈のうら寂しくも見え渡るかな」がある。
初句「降る雪に」は、降る雪のために、の意である。
二句「焚く藻の煙」は、塩を作るために海藻を焼く煙をいう。
三句「かき絶えて」は、すっかり絶えて、の意で、「かき」は語調を強める接頭語である。
四句「寂しくもあるか」は、なんと寂しいことか、の意で、「か」は詠嘆の終助詞である。ここで切れる四句切れで、結句とは倒置の関係になる。
結句「塩竈の浦」は体言止めで、陸奥国の歌枕である塩竈の浦をいう。今の宮城県塩竈市の海辺で、塩を焼く煙の立つ景で知られた。いつもは立ちのぼる藻塩の煙が雪によって絶えたことで、人の営みの気配が失われた浦の寂しさを示している。紀貫之の歌が主の亡きあとに煙の絶えた寂しさを詠んだのに対し、この歌では雪が煙を絶やしている。前歌までの雪によって道の絶える歌に続き、雪によって煙の絶える景が詠まれている。
も:海藻
けぶり:煙
かきたゆ:すっかり絶える
- 作者
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九条兼実
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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