雪のみやふりぬと思ふ山里に
我も多くの年ぞ積もれる
- 歌の意味
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雪だけが降り積もったと思うだろうか。この山里では、私にも多くの年が積もって、古びてしまったのだ。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 676
詞書「延喜御時、歌奉れと仰せられければ」
雪を詠む一連の二十首目である。山里に降り積もった雪を見て、雪だけではなく自分にも多くの年が積もって老いたと詠む。詞書によれば、延喜の御代に醍醐天皇から歌を奉るよう仰せがあった折の歌である。
作者は紀望行の子で、『古今和歌集』の撰者の一人として仮名序を執筆し、『土佐日記』を著した。三十六歌仙の一人である。
場面は雪の降り積もった冬、場所は山里である。
直接の契機は、延喜の御代に醍醐天皇の命を受けて歌を奉ったことである。
初句「雪のみや」は、雪だけが、の意で、「や」は疑問の係助詞であり、二句の「思ふ」で結ぶ。
二句「ふりぬと思ふ」の「ふり」には、雪が「降り」の意と、年を経て「古り」の意が掛けられている。雪だけが降り積もって古びたと思うのか、の意で、ここで切れる二句切れである。
三句「山里に」は、この山里では、の意である。
四句「我も多くの」は、私にも多くの、の意である。
結句「年ぞ積もれる」は、係助詞「ぞ」を受けて存続の助動詞「り」の連体形「る」で結ぶ係り結びで、年が積もっている、の意となる。雪が「降り」「積もる」ように、自分にも年が「古り」「積もる」として、雪と老いとを重ねている。本巻の第六百六十一首が「ふれば」の掛詞で世に経る憂さを雪に重ねたのと、「ふる」の掛詞によって雪と身の上を重ねる点で通じている。前歌の富士の高嶺に降り続く雪から、山里に降り積もる雪と老いた身へと移っている。
ふる:雪が降る意と、年を経て古びる意を掛ける
やまざと:山あいにある人里
- 作者
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紀貫之
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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